お昼
人が多い場所、声のする場所はあんまり得意じゃないというのもあって、お昼休みは、食堂でご飯を食べた後更衣室に行ってお尻の下にうっすい座布団みたいなのを敷いて座って静かに過ごす。
あんまり人が来なくて、いい。
たまに人が来て「え!?何してんだこいつ…」みたいな感じで見られるけど、いい。
音楽を聞くとか、おやつを食べるとか。
買いもしない服にいいね!をし続けるとか。
たった30分くらいだけど。
とりあえず、1人になれる時間はすごく大切だと思う。
ずーーーっと誰かと一緒は疲れる。
仕事でも、プライベートでも。
誰かといる時の自分はどうしても100%の自分ではないから、ちゃんと1人になって、他人と線を引いて、自分をしっかりとわかってないといけない。
それができてはじめて、誰かの尊さとか、誰かといる時間の素晴らしさに気づく。
で、少しずつ、最大87%くらいの自分で、誰かと生きていく方法を見つけられる。
好きを集める
子供の頃からあんまりいろんなものに興味を示さなくて、いわゆる趣味もなければ好きなことも少ない。
親とか先生に言われたことをしんどいなあとかめんどくさいなあと思いながら聞いて、ある程度結果を出す。
勉強にしても、部活にしても、習い事にしても。興味がなくてもそこそここなせてしまう自分が嫌いだった。
それら、嫌なら放棄すればいいのに、と今なら思う。嫌を嫌と言わないから好きも好きと言えなくなるんだと。人の言うことを聞くから、自分の意志がわからなくなるんだと。
さて、好き、ってなんだと思いますか。何がどうであれば好き?好きってどういう感じ?
頭で考えるようなことじゃないんだけど、科学して答えを出さないと安心できないのが悪い癖だなー。
音楽、旅行、美味しいもの巡り、お弁当作り、ほか。知り合いがそういった「好きなこと」に時間を費やしてるのを見ると、自分の翳りみたいなのが際立って、「なぜ自分は…仕事ばかりして…趣味もなく…」みたいな気持ちになる。ずーん、となってしまう。
そうはいっても不貞腐れている時間がもったいないので、これからは自分なりの好きをちまちま回収していこうと思う。他人のことはいったん横に置いとこ。ほら、隣の芝は青く見える、っていうね。
まず、「好き」のハードルを下げることが必要かもしれない。たぶん今までは突き抜けてめちゃくちゃ好きじゃないと好きと認識しなくて、そんなものはそうそうないでしょ。
だから少し気楽に気軽に好きと認識するものを増やしていこうと思う。
軽率に好き!
明るく過ごすための発想の転換。
表面張力
9〜10月はとんでもなく忙しくなるってわかってたけど、それにしてもまあまあ忙しい、体感。
9月の1週間目だけで何時間残業を積み上げたのか、残業するのは全然いいけど、気持ちとして、ふつうに見たくない。
こうなるの目に見えてたから8月までになるべく人と会っておこうと、詰め込んで正解だったなー。
先週はシンプルに忙しいのもあったし、低レベルなミス(というか、なんだあれは、なんだったのか自分でも全くわからん)で憧れの上司に迷惑をかけて病み散らしてて、だいぶ沈んでた。
人生終わったと思った。本当に。
でも中学の時の友達と高校の時の友達が連れ出してくれて、気にしなくていいよ!!!!!大丈夫!!!!!!って言ってくれたからけっこう復活した。
昔は吐き出す場所があんまりなくて、それこそ家では何も言えなくて、SNSで文句言ったり、特定の人に寄りかかってしまったり、そういうことをしてしまう自分が嫌だったけど、今はこうやって誰かに助けてくれーーー死にそうだーーーーって言えたり、なぜか気づいてくれたり、どこから聞きつけたのか言わなくても助けてもらえたり、随分健康的な人付き合いをするようになったな。
だいたいみんな、真剣に聞きながらも、笑い飛ばしてくれる。だから私もみんなが沈んでる時は真剣に聞くけど笑い飛ばしていいことであれば思いっきり笑い飛ばそうと思う。
ちょっと無理してたとこはあって、ギリギリ保ってたものが、全部溢れて何にも無くなった。
それで、いったん楽になったけど、また1から頑張って、信頼を取り戻せるように、仕事しなきゃー。
時々、心を意図的に傾けて、溢れないようにしながら。
メラミンのコップ
大学受験のために、高校3年の冬は東京にいた。
そのときちょうど渋谷ヒカリエに大好きなぼのぼののポップアップショップがくると聞いて、あのダサい制服で渋谷ヒカリエに乗り込んだ。
その時に、7000円分のグッズを買った。
よくあるメラミンのコップも買った。とても気に入って買った。
受験の時から、大学の4年間、そして今もそのコップを大事に使っている。本当にかわいくて、使いやすい。
長く使ってるから、思い入れがある。悲しい時も嬉しいときもそのコップにいろんな飲み物を注いできた。
でも最近、父がそのコップを使ってることが判明した。
何回か現行犯で見つけて、その度に「それ私のだから使わないで」と言ったのに
「僕、このプラスチックのコップが好きやねん!」などと供述し、まるで会話にならない。
あんたがプラスチックのコップが好きかどうかはどうだってよくて、それは誰のものなのかという点で話しているというのに…
あと、プラスチックとメラミンは多分違う物質だと思う、そこはまあいいか。
私は結構本気で嫌がってるのに、何回言っても父は全く気づかないから、これまた結構な勢いで、「お父さんにコップ買ってあげるからもう使わないで!!」と言った。
そして父が大好きなふなっしーのコップを買った。
昨日届いてた。届いてたことに気づいてなかったから今日開けた。
かわいいじゃん。
これで私のぼのぼのが被害から逃れられるのを切に願う。
要経過観察
母親に言われて嫌だった言葉を思い出す。
音痴
ハゲ
貧相
お父さんに似て⚪︎⚪︎
あんたの曲は暗い
歌詞の意味がわからない
お母さん、お兄ちゃんのことで
疲れたからあんたは自分でやってね。
これだけ塾にお金かけてるの。
ーーわかるよね?
兄と妹は分かりやすく可愛がられていて、
私はいつも我慢と親の気持ちの理解を強いられてきたなと思う。
ここまで差がつく理由がマジでわからん。悲しかったから勉強でいい成績を取ったら褒めてもらえるかなと思ったらこんなの普通と言われ…いや、5教科平均90点超えは普通じゃないだろ。アホか。おめえやってみろ。どんだけやっても、もっとやりなさい。
なんでも頑張りなさい!
なんでも、ちゃんとやりなさい!
そんなんばっかりだったな。
いい子だった私はどうにかして、わかりやすく大切にされたくて、なんでも頑張ってきたけどな。
体調崩したら怒られたな。なぜ。
優しくしてくれよ。
自分がどう思うか、どうしたいか、何が欲しいかを、言えたことってあったかな。
しんどくて愚痴ったらしっかりしなさい!!あんたの愚痴聞きたくない!!と言われ……黙るようになったな。
高校入学の時、お兄ちゃんには30万のギターを買ったけど、私はお兄ちゃんよりいい高校に行ったのに、特に何もなかったな。
そういや合格発表も見にこなかったな。
どうせ落ちてると思ったらしいよ、ひどくね。受かったって電話したら嘘つくなって言われたしな。嘘なんかつくかいな。アホか。そういうの全部、どんだけ悲しかったか、わかってんのかな。まあ、わかってないよな。
子供の心理として「お母さん私のこと嫌いなのかな…」「かわいくないのかな…」「お兄ちゃんと妹だけでよかったんだろうな…」となる。
家庭環境が全てだと思う。
残念ながら子供は親を選べない。
見た目も能力も、
親にもらったもので戦うしかない。
本当に残念で残念で仕方ない。
生まれてくる子供には何の罪もないのに。
必死に育ててくれたと思うけど。
幸せな家庭なのは間違いないし、
毎日ご飯出てきたし、私立の大学行かせてもらったり、ピアノ習わせてもらったり。
ありがたいのはありがたいけどな。
普通に善人だし、あの人らはあの人らで頑張って生きてるから尊敬してる。
この家に生まれなければ的なことは思わんし、縁を切りたいとかそういうのでもない。
親も兄妹も大切で仕方ない。
でもまあちょっとおかしくなるのは無理ないよ。
てかもう親がどうとかいう年齢でもないけどな。26ってさ。
しかし今の状況から一つ一つ紐解いていくと、今身に起きている問題を解決しようとすると、明らかに原因があるのそこなんだよな。
立派なアダルトチルドレンの完成だよ。
本当おめでとう。すごいよ。
何をどうすれば誰かに大切にしてもらえるかわからないもんな。
何を差し出せば、幸せになれるのか。
とりあえず実家、出よう。
自分の人生なんだよ、自分だけの。
振り切れ、邪魔なもの全部。
そろそろ、楽になりたい。
きゅーちゃんの話
2016年、初夏。
「東京でライブするから見にけーへん?」
高校の時の友達にそう誘われ、足を運んだ渋谷CYCLONEに"きゅーちゃん"はいた。
全然話さないし、目も合わないし、金髪だし、なんか怖いし、初めの印象はあんまりよくなかったけど、Twitterで絡むうちにいい子だと気づいた。
きゅーちゃんはギターが上手い。無駄が一切ない本当に綺麗な演奏をする、かなりイケてるギタリストだ。
そんなきゅーちゃんと会うことになった。こないだの5月。
たぶん、5年か6年かぶりかな。
新御茶ノ水で待ち合わせた。急に雨が降ってコンビニで傘を買っていたとほんの少しだけ遅れてきたきゅーちゃんは、ものすごくきゅーちゃんのままだった。
が、あの時はなかった左腕のタトゥーが時間の流れを物語っているみたいだった。
相変わらずあんまり目は合わないけど、きゅーちゃんはありえないくらいのスピードでずっと喋りまくっていた。すごい話すなあ、と思ったけど久々だしきゅーちゃんの話を聞くのは楽しかった。
新しく組んだバンドのこと、仕事のこと、掛け持ちでバイトをしていること。昔の友達のこと。
そして、きゅーちゃんは言った。
「楽しいのなんてギター弾いてる時だけだよ。それ以外は苦しいしほんと大変。でも、俺はもう出会っちゃったからさ、音楽に。だから、売れるしかない」
ああ、そうか。
好きなことするのって、楽しそうに見えて、実際楽しいかもしれないけど、めちゃくちゃ大変だよな、そうだよな。
厳しさ、苦しさ、そういうの全部ひっくるめてきゅーちゃんは音楽と向き合ってた。音楽を愛してる自分と向き合ってた。
美しい、そう思った。
きゅーちゃんとは7月末にも会った。
東京に行く前日の夜に「明日、昼は何してんの」と連絡が来た。昼過ぎからバイトの友達と会うまでは特になんもしてないよと言えば、じゃあそれまで会おうと言われた。また急だな……Qだけに……などとしょうもないことを思いながらも、本当に昼過ぎまで何もしてないので、むしろちょうどいいなと会った。
また、音楽の話をした。
まあ、私たちの共通言語は音楽しかないので、当たり前だな。
その日の晩にきゅーちゃんとの出会いの地、渋谷CYCLONEできゅーちゃんのライブを見た。
正直、身長の兼ね合いできゅーちゃんはあんまり見えず、ボーカルの子をずっと見てた。ごめんな、きゅーちゃん。
ライブを見て思ったのは、本当に心が揺れ動いた時、言葉は全く役に立たないこと。
改めて、実感した。
きゅーちゃんと再会してから、また音楽をやってみてもいいと思った。
時間がかかるし、何も弾けなくなってる自分が嫌になると思うけど。
すぐベースを修理に出した。お金が貯まれば、1年くらいヤマハに通って、先生に習ってみたいと思ってる。
ありがとう、きゅーちゃん。もう一度音楽をやろうと思わせてくれてありがとう。
私はきゅーちゃんみたいに音楽が好きな人間ではないけど、細々と音楽をしながら、何か見つけられたらいいなと、思ったよ。
いま、私ときゅーちゃんはよくわからんまま友達ではなくなってしまった(?)
なに?wwwどういうこと?wwスピード感すごいなwwと思ったけど、縁が切れる時は切れる。切れない時は切れない。また繋がる時は、また繋がる。
そんなもんだから。
どこかできゅーちゃんが元気にギターを弾いていて、きゅーちゃんのギターで誰かが絶句していれば、それでいいよ。
輝け、きゅーちゃん。
ずっとずっと、きゅーちゃんのままで。
こわ
れた。本当に急に。
その場にいられなくなって、仕事を抜けてしまった。
部署に戻って泣きじゃくった。
とんでもない事態だと思う。
確か大学2年の時に、同じようなことがあった。
当時、軽音サークルに入っていた私はライブハウスの契約をしたりタイムテーブルを組んだり、当日のタイムキーパー、精算などライブの企画運営をするぶっちゃけかなりめんどくさい役割を担っていた。
新大久保のライブハウスだったかな。そのライブでは自分の出番はなかった。でも、役割は役割だから企画した。
直前までセットリストが出ないとか、当日色んな人が遅刻して、リハのタイムがめちゃくちゃになるとか。ライブハウスの人を困らせてしまって、たくさん謝った。遅刻した人に、遅刻だよと言うと、そんな言わなくてよくない?キツい、と言われてしまったとか。
ほか、遅れた人は、平気でステージに立って、楽しそうにしていて。
あ、これ無理だな。
と思った。
この場にいられない、ここにいるとおかしくなる、と思った。
精算なり何なりのことを他の人にお願いして帰った。とりあえず帰って、とりあえずやるせなくて泣いた。
その後、なんで帰ったの?無責任だ、と責められたのを、今でも覚えてる。
無責任。
無責任、無責任、無責任、無責任。
私は、無責任だったのかなあ。
今回の仕事も、やるせなくなったというところでいくと、だいたいおんなじような図だと思う。幸い、みんな優しくて無責任と詰められてはいないけど。
でもさあ、たぶん私が神経質なんだよな。
自分が悪いと思わないと誰かを責めてしまいそうで、私を責め立てた人たちと同じになってしまうようで、怖いしな。
しばらく、立ち直れそうにない。
どうすっかなあ、これから。