口虚
左目が見えなくても嘘には気づける。
一瞬の間、空気の澱み、確かな違和感。
ーー言行不一致。
わかっていて言わない。
指摘しようものなら、逃げるか、必死に逆上するか。ダサい人に時間は使えない。
嘘だけじゃない。
一緒にいて、別のことを考えているなと気づくこと。
これ以上踏み込んでほしくないと思っていると気づくこと。
ああ、私のことはそれほど大切に思ってないなと気づくこと。
あまりにも容易い。
あまりにも容易くて、笑ってしまう。
気づかれていると気づいていない人が滑稽で、笑ってしまう。
ただ、嘘が、誤魔化すことが、隠すことが、必ずしも悪だろうか、と問えば否。
目的次第だと思う。
私は、自分を守るためじゃなくて、誰かを守るためにそうしたい。
八月の夜
という曲がある。
愛してやまないSilent Sirenの名曲だ。リリースは2015年らしい。だいぶ前だな〜と思うけど、それもそうか。大学の頃に聴いていたんだから、そんなもんか。
とりあえずMVの成田凌がべらぼうにかっこいい。同じ大学の男女が惹かれ合うストーリーで、あんな人絶対に好きになってしまう。
八月の夜、というタイトルと歌詞、MV、全てがあまりにストレートで、するりとガツンと心に入ってきたのは私も当時大学生で、恋をしていたからだろうか。
さて、近頃恋らしい恋(とは?)から離れてしまっている今でも、8月になるとやはりこの曲を思い出す。
そして、毎年ベースを弾かねば弾かねばと思うが、なんせ難しくて弾けない。何が難しいのかわからないが、なんとなく弾けない。
気づけば8月はほとんど終わっていて、また来年また来年と自分を甘やかしている。来年の8月まで生きていられるかなんて、わからないのに。
夏は苦手で、毎年ほとんど家にこもって、冬眠ならぬ夏眠を決め込んでいた。
でも、今年の夏は色んな人に会った。
時間やお金に少し無理して色んなところに行った。
傷つくのわかってて手を伸ばしたものもあるし(案の定ちょっとだけ辛い思いもしたけど、大した問題はない)。
自分にも周りにもなにが起こるかわからないし、そうともなれば会えるうちに会っておきたい人が山ほどいることに気づいた。なんて幸せなことだろうね。
楽しかった。
身体面ではめちゃくちゃ夏バテでしんどいけど、心の充実がすごい。会ってくれたみんな、ほんとにありがとう。
かけがえのないものばかり抱えているから、文句垂れながらも生きていける。
自分のことがわからなくなるときもあるけど、大切な人が私を形作ってくれたり、進むべき道を教えてくれる。
会える人も、会えなくなってしまった人も。好きな人も、あんまり好きじゃない人も。
一つ一つの縁がそれぞれの温度で距離で、私を彩ってくれてる。
今日は8月最後の日。
8月の朝も昼も夜も最後だ。
良い1日にして、9月を迎えたいと思ってる。
靴買った
銀座かねまつが夏のセールをやっててたまたまいいのを見つけたから買った。仕事用に。
前からちょっと気になってたLS-GC2202 。メタリック加工(プリントではないはず)の革は本革のくせに撥水仕様。まずここが銀座かねまつの強みだと思う。まさかこれが¥11,000で手に入るとは思ってなかったから感動した。
一昨年足を潰してすっかりご不自由になってしまったゆえ靴探しに骨が折れまくっている私を助けてくれるのは、いつも銀座かねまつである。本当にありがたい。
GCは初めて履くけどたぶん大丈夫だろうなと思って22cmを購入。ピタッとした感覚はさすがBウィズって感じだけど思ってたよりしんどくなくて、ほかのG-木型よりちょっとマイルドな履き心地のような気がする。
足長は完全に合ってる、とはいえ足幅は少しつらい。でもこれは「いける」つらさだと判断して、返品→サイズアップではなく自分の腕を信じてフィッティングに臨むことを決意した。
1回目。とりあえず家にあったメンズ用のシューストレッチャーをぶち込む。わかりきってたけど24cm〜 対象なので靴の奥まで入らない。仕方ないから適当なところでやめた。ほんのり広がったようにも思わないでもないけどこの時点で効果ほぼなし。一度決めたことに対して諦めの悪い私は目的を達成するためにAmazonで小さいサイズのストレッチャーをポチって寝た。
2回目は翌々日。Amazonが届いた。さすがAmazon、種類は山のようにあったけどせっかくならかわいいのが良かったからピンクで持ち手がハート型のを買った。やはりサイズが合ってるといいとこまで入る。伸ばしたいところを自由に伸ばせる。最高。ほんのり起毛で伸びやすいだろうからあんまりやりすぎるとマズいかな〜と思ってぼちぼち突っ張るくらいでしばらく放置。なかなかいい感じに伸びていた。
3回目。前回でまあ伸びたけど仕事なんかで長時間履くことを見越してもう少し…と思いストレッチャーにマメを取り付けてさらなる拡張を試みる。本底との境目がちぎれないかだけ注意しながら持ち手を回した。メキョ…という怪しい音が聞こえたけど、案外力を入れても大丈夫というのは靴屋時代に学んだ。失敗を恐れていてはフィッティングはできない、思い切りが大事。正直、ぱつぱつになった靴を見るのは可哀想だけど、許して欲しい。
これで快適に履けるはず。靴屋やってよかった。たいていのことはどうにかできる。
フィッティングにしてもメンテにしても靴いじりは楽しい。ただ、自室で1人靴を眺めてニヤニヤしてる自分は本当に気持ち悪いと思う。
やつの話
「なんか知らんけど音源通った」
親の愛情を溺れるほどに受けて育った泉野家の3番手、無敵の末っ子が?年ぶりにステージに立つらしいと身内は沸いた。
既に予定が入っていたのだが、姉である私が行かないという選択肢はない。加えてその日は仕事で某イベントに顔を出しておりおぞましい量の業務を抱えていた。が、一旦切り上げて久方ぶりの三国ヶ丘FUZZへ急いだ。
数年前と変わらずRolandのショルキーを担いでステージに立った妹は「東京都から来ました」と挨拶をした。私は何カッコつけてんだよ、まあ事実か……などと適当なことを思いながら、一番後ろで腕を組んで見守った。
5つ下の妹は昔から歌うのが好きだった。親もよく歌を褒めた。兄と私が軽音楽に手を染めた一方で妹は合唱の世界に進んだ。上の2人と毛色は違ったが、3人の中で最も音楽的な感覚が優れているのは明らかに妹だった。
曲作りそのものは小学生から始めていたように記憶しているが、音源としてハッキリと形にしたのは中学生の頃だった。
繊細な感性が生む瑞々しい歌詞、捨てきれない希望を表した煌めきのあるメロディ。そして、可愛らしい見た目に反して全く可愛くない歌声、というアンバランスさが彼女の魅力だった。
さて、私といえば気もそぞろで冷や汗みたいなのが止まらないし脚が震える。自分のライブよりもよっぽど緊張した。我ながらアホなのかと思うが仕方ない。というのも、人前で歌うのに慣れているはずの妹が、私には「緊張している」「歌詞が飛ばないか」「キーボードを間違わないか」と珍しく弱音を吐いたからである。
今までとは違う。
お互い、そう思っていた。
妹がパソコンを操作すると、ライブハウス特有の爆音で機械的な音が流れ始める。
ステージには1人。例の肩からかけるタイプのキーボードを持っている。バンドでもない、アコースティックでもない、なんだかよくわからないスタイルは、見る人の目にどんな風に映ったのだろう。
1.シオン
2.命眼開花
3.常緑樹
4.アイリス
5.恋におちて
セットリストはこの通り。全てアップテンポで与えられた25分を一気に駆け抜ける。新曲はない。当たり前だ。複雑な事情で活動をやめていたし、東京での過酷な生活で音楽どころじゃないのだから。
しかし、いま22歳になった彼女がそれらを歌えば、わかりきった展開が、使い古したフレーズが、がらりと印象を変えた。
自分の曲を愛おしげに歌う姿が、歌詞に合わせて動く視線が、高校生の時にはなかった何かが、そこにある。
「生きている」と思った。
それが、嬉しかった。
ステージから見える景色をどう思ったのか、ライブを経てどう感じたのか、これからどう音楽と接していくのか、何も聞いてないし聞く気もない。好きにすればいい。
案の定歌詞を間違えたとか、歌詞が飛んでいったとか、とにかく不安だったと思う。怖かったと思う。
でも、大丈夫だよ。
たった1人でも誰かの心を動かしたのなら、それは圧倒的に音楽だから。
きのう
新世界で飲んだお酒が変に回って、道に迷って、なんとかたどり着いた駅で普通車に乗ることに成功した。
憧れの人が住む街を通り過ぎる。だから何ということはなく、ああ、そうだなと思うだけ。
昔と比べて、適当が上手くなった。その場その場で最適な言葉で、行動で、普通をこなす日々だ。凌ぐ、と言った方が正しいかな。
別になんとも思ってませんよ〜、そんな顔で、刺激のない日々をありがたいと思う一方で味気ないとか、なんとか。
贅沢言うなよ!いやしかし……
ただ、大人になって、有限だ、と感じる回数もひどく増えた。全てが有限で、たった一度きりだと。ならば、この中途半端な幸福を放り出して。
会いたい人には会いたい、と。
好きな人には好きだ、と。
伝えてもいいのかもしれない。
失う覚悟がなければ、本当に欲しいものは手に入らないと思う。
終わり
終わる、ということ。
終わらせる、ということ。
脚が痛すぎてホームでうずくまったり。もっと悪くなったらどうしようと考えてしまったりとか。ここ半年くらいそういうのとずっと戦っていた。
なんで私がこんな目に遭わないといけないのか…真面目に頑張ってたのに…と思わないでもないけど、まあ仕方ないのかなあ。
顧客さんが会いにきてくれたり、何か贈り物をしてくれたりと、そういうことがあるので、ずいぶん幸せだと思う。頑張ってよかったと思う。
店の仲間もこんな私と仲良く働いてくれて、本当に尊い。
ありがとうじゃ足りなくて、でもありがとうと言うしかないのがもどかしい。何度も言うと価値が薄れて、でも何度だって言いたくなる、それほどにありがとう。
辞めたいなんてよく言ってたけど、辞めるほどでもなくて、みんなのことが大好きで、お客さんが喜んでくれたら嬉しい、そういう三年間でした。